一粒一会
ほんの一滴、ほんの一握り、ほんの一秒。
熟練の職人だけがわかる豆の表情があり、
古来からの手技でしか表現できない
味があります。
職人の丁寧な手仕事と、
江戸から続く長い歴史によって
ひとつぶひとつぶ味に磨きをかけた豆菓子。
和菓子の街・小江戸川越から、
伝統と新しさが共存するおいしさを世界へ。
日々の食卓やお茶の時間、お土産や贈り物に、
一期一会のお買い物をお楽しみください。
人々に愛され親しまれ進化する日本の伝統文化
季節を先取りして旬を味わい、
時に人生の節目を祝い、幸運を祈る。
和菓子は、日本の伝統的な文化のひとつです。
時を遡ること江戸時代、
戦乱の時代が終わり平穏が訪れたことで和菓子も飛躍的な発展を遂げました。
贅沢品だった砂糖も使われるようになり、全国で様々な種類が生まれます。
江戸幕府を開いた徳川家康や浮世絵師の葛飾北斎も和菓子好き、
さらに平安時代まで辿れば、紫式部の書物にも描写があります。
長い時を重ねるなかで人々の思い出に刻まれてきた和菓子は、
現在でも変わらず愛され、親しまれ、研鑚を重ねています。
江戸へと繋がる城下町、小江戸・川越では職人が腕を競った
今もなお、昔ながらの石畳や蔵が美しい小江戸・川越。新河岸川の舟運によって江戸と繋がったこの地は、様々な物資が経由する城下町として商業を中心に発展してきました。
川越の和菓子職人が作る江戸っ子好みの和菓子が評判となり、暖簾分けによって生産する種類を増やしていき、明治時代初期に、今でも続く菓子屋横丁が誕生します。
最盛期は約70軒が軒を連ねていましたが、大手メーカーの大量生産や洋菓子流行によって一時は衰退。それでも、町を愛する人々の手によって菓子屋横丁は復興し職人たちは再びこの地で和菓子作るようになりました。
伝統的な技法を大切にしながら、現代の人々の生活にも目を配る川越の菓子作りはこうして生まれたのです。
和菓子に欠かせない食材・豆、その魅力にこだわり追求し続ける
和菓子には生菓子、半生菓子、干菓子がありますが、そのどれをとっても、”豆”はなくてはならない重要な食材。
小豆やいんげん豆を甘く炊いて練り上げてあんことして、醤油や砂糖でかたちを残して炊き上げて煮豆として、柔らかく煮た後に蜜につけ込み甘納豆として。もちろん、そのまま食べても揚げて食べてもおいしく、保存や輸送がしやすく、栄養価も高い万能食材なのです。
そんな豆に着目し、創業以来ひと筋でこだわり続けてきた小江戸まめ屋。
古今東西の豆を職人の手技で100種類以上の豆菓子にしてお届けします。
秩父に伝わる幻の在来種「秩父借金なし大豆」の復活
豆にまつわる話をもう一つ。
100年ほど前、秩父地方が貧困に苦しんでいたとき、
大豆の品種改良に取り組んだ結果、
旨味(アミノ酸)と甘み(ショ糖)が非常に高い「秩父借金なし大豆」が生み出され、
貧困から脱することができたそうです。
※ショ糖成分は60種以上ある大豆種の中で五本の指に入る含有量
しかし、「秩父借金なし大豆」は機械収穫に向かず、
作り手がいなくなり、近代では長く幻の豆となっていました。
小江戸まめ屋は契約農家とともに復興栽培に取り組み、
その幻の大豆の製品化に成功したのです。
1949年の創業以来、職人と手技を大切にし続け、
自社職人の育成を行う小江戸まめ屋だからこそできたことです。